・・・・ 美しいヌード  ・・・

悲しさと幸せ。イメージ画像

   

美しいヌード < コラージュ作品展 >

管理人の絵と写真のコラージュ画像を展示してます。 絵とはいっても、ヌード以外の作品とのコラージュ(重ね画像)も多くあります。 女性ヌード作品と自然のコラージュ(イメージ画像)が多いのは、ヌード(美人)作品に新たなエッセンスを加えてみようとする試みからです。 ヌードと自然の共生・共存・融合と考えてます。 ヌードが新たな”展開”を見せ、さらに「美しいヌードまたはヌード美人」となっていくとが楽しみでもあります。 コラージュ作成の楽しみでもあるのですが、偶然性の賜物であるように思います。 数十回のコラージュを試すこともしばしばです。 その中から(出来のよい)作品を選んでます。 狙って出来ることもありますし、意外性に期待することもあります。 自然とヌードをコラージュすれば、大自然を背景としたヌード美人になりますし、街とのコラージュでは、街中ではヌードは撮れませんから(在り得ない)画像も生まれてきます。 また、室内空間や模様などとのコラージュとなれば、現実感があり、不思議で妙なリアリティーのある(画像というよりは)写真になってしまうこともあります。 どのようなコラージュ画像であれ、アート感覚が優先することは確かなことであり、エロティシズムをその背景に感じさせる作品としたいものです。 ・・・美しいヌードコラージュに興味のある方は試してみてください。 無料ソフト Picasa を使用してます。 Picasa 3.9 になり、ますます編集処理の幅を広げてます。 コンデジでも精度の高い画像を撮ることができるようになった昨今では、高画質であることより、より馴染みやすく親しみやすい編集処理が求められるようにもなってみました。 トイカメラ風の加工などはそれらの例です。  Picasa も Picasa 3.9となり、画像を整える編集加工から楽しく親しみを持てる画像に処理するような機能が主流となりつつあり、展示する際にも額や枠なども簡単に付けられるようなソフトへ変貌しつつあります。

「 私は悲しくもまた幸せである」

カンディンスキーが手紙で友人にもらした感情の中に「 私は悲しくもまた幸せである」というフレーズがあります。 同時代のリルケは「不安のかげに非常に近親なものが隠されてる・・・」とも記してます。 当時(1900年代初頭)、それまでの「神の絶対的存在」は薄れ、「全ては相対的なものの中にある」という考え方が生まれてきた時期でもあります。 また、絶対から相対へと、その精神のきりかえを余儀なくされた時代ともいえます・生きる意味。 

身の回りにも自身にも起こる不幸や悲しみを全て受け入れる行為自体に「幸せ」を感じたのでしょう。 絵画的には、奥深く、無邪気な沈黙のひびきがある・・ということでしょうか。 上の画像は、パステル画に自然(晩秋の森)の写真をコラージュしたものですが、悲しみの図としてではなく、「悲しくもまた幸せの図」として見ていただければ作者(管理人)としては嬉しいのですが・・

常識的な美意識ではなく、アート感覚における美しいプロポーションとは? 鉛筆やパステル・木炭で描くことが多いのですが、 コンテで描くヌードも紹介してます。 日本の柄とのコラージュ作品、 振袖と裸婦、モデルとはいっても、さまざまなモデルがいる中で、 撮影モデルと美術モデルについて、その違いについて。 自然とヌードのコラージュ作品、 森に住むヌード。 感性よりも 知性を感じさせるヌード作品・・・それは、モデルの放つオーラによるところと思います。  モデルを褒めることの大切さを・・・、と同時にヌードを褒められることのモデルにとっての意味と褒められたモデルその後の生き方について記してます。

 

自己の尊厳 「心理学」という方法論 精神の安定 沈黙の響き

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