・・・・ 美しいヌード ・・・

「自己の尊厳」を意味する自然とヌードのイメージ画像

   

美しいヌード   < 作者と自己への尊厳 >

最近、絵画展へ足を運ぶことも少なくなってきた。 ライブなどへ出かけることもおっくうになってきた。 ネットの中を探せばたいていの絵は見れるし、MP3レベルとはいえ、そのほとんどの楽曲を聴くことが出来る。 何でも観ている聴いている、知ってしまったような錯覚が起こる。 

ずいぶん前のことではあるが、初めて展覧会に出かけたのはゴッホ展である。 画集などではすでに知っている絵も多くあったが、本物の絵を見たときは(感動を通り過ぎて)「ぶったまげた!」という表現が適切かもしれない。 画像で見るのと本物はこうも違うのだということを思い知らされた。 食い入るように見たのを今もはっきり覚えている。 同時に、作者(ゴッホ)への尊敬の念も生まれてきたように思う。 

デジタル化された情報が安易に手に入ることによって、何でも知ってしまったような錯覚が生まれ、作者への尊厳は次第に薄れてくる。 困ったことは、作者への尊厳が希薄になっていくと同時に自己への尊厳も希薄なっていくことである。 無意識下では自己の存在も危うくなってくる。 その自己の存在の危うさが、現代における「欝・憂鬱という現実」の要因の一つとなっているような気がしてならない。 また、生きるエネルギーの根源と思われる「未知なるものへの好奇心・潜むエロティシズム」も同時に失われていくこととなる。

「自然とヌードのコラージュ」による「美しいヌード・ヌード美人」について・・・精神性のあるヌード作品とかスピリチュアルなヌード(美人)画像と言えば、それで済んでしまうのでしょう。 精神性とかスピリチュアルという言い方がされるのも、興味本位なヌード画像が溢れていることがあり、それら興味本位な好奇心を煽るばかりの画像との差別化からくるのだろうと思われます。 「美しいヌード」とは、日常的な安易な美意識から生まれてくるのではなく、精神性を感じさせるもしくは本質へのアプローチのある作品を指していると考えます。 精神性とか本質へのアプローチというような抽象的な言い方ではなく、モデルと制作者の真摯に向き合う姿があればそれで十分だともいえます。 創造的・クリエイティブステージや空間を設定していくことです。

 

「心理学」という方法論 精神の安定 沈黙の響き 心の健康

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