美しいヌード 制作者と感性を共有できる人にだけ

草色のグリッドが美しい画像

 

   

 

< 見える人にだけ見えるヌード >

 誰にでも見える画像なのでしょうか? この美しい裸婦コラージュ画像は管理人にだけ見えているのでしょうか、それとも、誰にでも見える画像なのでしょうか。 草色のグリッドが美しい画像になってます。 人がすることは知れているので、自分がすることはだいたい他の人もしていることだと思えばよいでしょう。 ところが、誰もがしていて自分だけがしないこと、自分だけがしていて他の人はほとんどしないようなことだってあります。 そう考えれば、見える人にだけ見えるヌードというものも在りそうです。 同じヌードモデルを前にしても、見える人には見えて、見えない人には(そのモデルの)美しさは見えないのかもしれません。

人の目は、物理的に見るのならほとんどかわらないのでしょうが、視覚的に見るとなれば、個人差はかなりあります。 アート感覚に疎い方は、この視覚的(アート的)に見ることをさほど信じてません・知識 vs 視覚。 まぜなら、人体芸術的に見る目を持ち合わせないからなのでしょう。 彼らにとっては、見えないものは信じない・・とはもっともなことなのですが、見える人の目を信じないという愚かさも同時に起こってきます。 彼らに、物理的見えることと視覚的な見え方はまったく別物なのだと言っても無駄なのです。 見える人にしか見えない・・ということですね。

 

 モノ創りをする人は、その感性を共有することは誰かと出来るのでしょうが、感性がかなり先進的な場合とかマイナーな場合は共有できる人も少なく、一般的な意味での理解者も少なくなることはあります。 それでも続けていかなくてはならない・・・とか、続けざるをえないともなれば、孤独なことにはなります。 同時代のキュビズムの時代に生きた人にとっても、ピカソのように画風が変わっていく人もいればブラックのように生涯変わらない人もいます。 たぶん、変われる人は変わり、変われない人は変わらないともいえます・・・頑なに信念を通す人もいますが。

 

 

   美しいヌードバスト・背景描写 下北のジーンズショップ 美しいヌードデッサン・ウエスト

上の画像でも使ってますが、街の写真を多く持ってます。 街とはいっても、下北沢や自由ヶ丘の街の写真です。 他のエリアでは撮れないような画像が撮れます。 それは、住宅地と繁華街が隣接していることに因ります。 歴史を感じさせる古さと現代的な斬新さが共存しているからです。 三軒茶屋も面白いところです。 これからの発展性を考えればこちらが最も面白かもしれません。 ・・・写真であれ絵であれ、制作者と感性を共有できる人にのみ見えているのでしょうね、その意味では、見える人にだけ見える美しい裸婦画像もありそうです。

 

 

  

自由ヶ丘の居酒屋 美しいヌードクロッキー・仰向けになったときのバスト 自由ヶ丘のショップの看板

ヌード Home   サイトマップ   モデルと制作者のコミュニケーション  提案することの大切さ  感性が先行する人たち  ヒップのコラージュ画像  自画像  カフェの薄明り ヒップの形  コラージュの楽しさを伝える画像  常識的でなく不道徳な絵に見えますか?  枯葉の向うに見えるもの  絵画的なコラージュ画像  ヒップに見るボリューム感  ディスプレイに映す  カフェで寛ぐ美しい  グリーンが美しく見える  見える人にだけ見える  ブルーが背景  手段ではなく本質で  人の在りのままを伝える  Picasaで画像編集  エレガント